2010.09.05
さたです。
世の中にはたくさんの小さな劇団があって、少しずつ違う事をしています。
同じような事をしているのだから一緒にやれば効率が良いのにと思うのですが、それは出来ないのです。
お客さんからは同じに見えても、やる方にとってはその少しの違いが重要だからです。
あえて効率を度外視し、少人数でひぃひぃ言いながら少しの違いにこだわります。
そんな事をしていたら、集団を大きくする事は出来ません。
だから世の中にはたくさんの小さな劇団があるのです。
ではまた。
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.08.29
さたです。
台本を書いていて思うのは、多分みんな同じ気持ちなんだろうなあ、という事。
みんな「こんな話は俺にしか書けねえぜ」とか「他のやつの台本は普通。俺のは特別」とか思ってるんじゃないかなあ。
恥ずかしながら白状すると、私は少し、そんな風に考えてしまう傾向があります。
なので、何でそんな風に考えてしまうのか、みんなもそうなのか、と思いを巡らせたりします。
私は台本はあくまでも中間生成物で、最終的に他人から評価されるのは、本番の舞台上で起こっている事だと思っています。
中間生成物を他人に評価してもらう事は出来ないから、だから結局、一番の理解者が自分という事になってしまうのかな、と思ったりします。
ではまた。
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.08.23
さたです。
いつもは日曜にブログの記事を書く事にしているのですが、今週はちょっと週末が忙しかったので変則的に。
私は映画もお芝居も観るのが好きです。
単純に考えるとたくさんお金をかけて作られた映画の方が、安いチケットで観れますので、得のような気がします。
でもそれは、本当に良い役者さんを観た事がない人の考えだと思います。
生で本物の役者さんを観るために、わざわざお金を払って劇場まで行くのがお芝居です。
最前列に座って、目と鼻の先で役者さんを観るのです。
ですから、ストーリーなんか最初から分かっていても良いのです。
本当の楽しみはストーリーではなく、役者さんを観る事なのですから。
そんな訳で11月の番外公演では、宣伝の段階でストーリーを全部ばらしちゃおうかなぁ、なんて思ってます。
ではまた。
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.08.15
さたです。
夏はやっぱり怪談。
ということで今書いている台本を急遽ホラーにしようと思ったけど、考えたら公演は11月12(金),13(土)に秋葉原のmograでやるんでした。
この秋か冬か分からん時期には、何談をすればいいんでしょうね。
ではまた。
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.08.09
さたです。
11月の公演の演出をすることになったので、それ用の台本を書いております。
題名は「思い出は細胞に」。
内容はまだ言えないんですけどね。
ちなみに写真は昔デザフェスで撮ったもの。
最近行ってないな。
写っているのは知らない人です。
舞台も客席もないようなお芝居をやってみたい。
ではまた。
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.08.01
さたです。
伊東由美子の「少女仮面」を観て来ました。
私が状況劇場の「少女仮面」を観たのは20年以上前の話。
でも劇中で使われている歌なんかは憶えているものですね。
観客300人以上を飲み込む花園神社の紅テントが懐かしい。
今回の会場、座・高円寺は建物の概観がテントを模しているのですね。
夜しか行った事がなかったので初めて気付きました。
でも中は小奇麗で、あのテント芝居の猥雑さはありません。
前衛的なお芝居を観に行く時というのは、わざわざ危ない所へ出掛けていくような、そんなスリルがありました。
離風霊船を初めて観たのもその頃でした。
伊東由美子はおばあちゃんの役をしたり、登場が毎回派手だったりと、ユニークな存在でした。
面白い女優さんというイメージが強かったのですが、実は本人は「少女仮面」のようなお芝居が好きなのですね。
一度だけ伊東由美子作・演出のお芝居を観ましたが、きちがい病院の話でした。
人間の脳を入れ替える手術のシーンがあって、そこのBGMがヒカシューの「プヨプヨ」っていう、そんなお芝居でした。
長いこと役者をしているのに、テレビや映画へは行かないから、本当に小劇場が好きなんだと思います。
離風霊船の出身でテレビで活躍しているのは高橋克実くらいですかね。
唐の「少女仮面」では腹話術人形は本当に人形を使っていて、台の下から役者が出てきて入れ替わっていましたが、今回は最初から小柄な役者が人形を演じていました。
その演技がすごく良かったです。
今日は千秋楽という事で、会場に唐十郎が来ていました。
なんだか興奮してしまった。
ではまた。
2010.07.26
さたです。
ここでいう役者は生の舞台で人物を演じる役者です。
人物には感情やパーソナリティがあります。
その感情やパーソナリティを、直接お客さんの脳に送信できるのが良い役者です。
セリフやストーリーを通してではなく、直接です。
顔で笑っていても心では泣いている事が直接伝わるのは、役者とお客さんが同じ空間にいるからです。
せっかく生の舞台なのだからそれが出来なくては勿体無い。
だからそれが出来る役者が良い役者なんだと思います。
ではまた。
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.07.19
さたです。
良い役者が持っている物とは、観客に感情の精度を感じさせる「何か」です。
もともと持っている人もいるでしょうし、訓練で身に付ける人もいると思います。
持っている事を自覚している人と、そうでない人もいるでしょう。
評価はお客さんがするのですから、役者がそれを自覚しているかどうかは関係ないのです。
感情に精度があるということは、そのベースになっているものがしっかりしていると言う事です。
「その人物がどういう人か」という事です。
感情は変化します。
変化する感情がすべて、その人物のものだと思える事が大事だと思います。
そう思える役者は、中身が詰まっているように見えます。
逆にそう思えないと、役者に役という皮を被せたように見えてしまいます。
本当に詰まっているかどうかではなく、そう見えるかどうかという話です。
良い役者には、その詰まっている部分にお客さんの興味を惹きつける、「窓」のようなものが備わっていると思います。
つづく
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.07.11
さたです。
前回のつづきで、最近私が思っている「持っている」という事についてです。
私は、役者が役を演じるとは、本当は持っていない感情を、本当に持っているように見せる事だと思っています。
おっと、前回私が書いた「持っている」と、この感情を持っているの「持っている」は別です。
前回の「持っている」が何の事を言っているのかは、なかなか説明が難しいのです。
感情を持っているように見せる時、気持ちを入れてその感情になって見せる、という方法があります。
また別の方法として、表情や声を作って感情を表現するという方法もあります。
どちらの方法であっても、またそれらの合わせ技であっても、観客からは本当にその感情を持っているように見えるのが、良い演技だと思います。
感情は喜怒哀楽だけではありません。無数にあります。
無数にあるもののうち一つを表現するには、「精度」が必要です。
ところがまた難しいのが、役者が正確に演じるという事と、観客が精度を感じるという事は、イコールではありません。
私が思っている、良く演じるために役者が「持っているべきもの」は、観客に感情の精度を感じさせる「何か」です。
それは役者が訓練によって身につけられるとは限らないものです。
つづく
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments
2010.07.04
さたです。
役者を評価すると言う事について考えたいと思います。
割と普段から考えている事ではあるのですが、お芝居を観に行くとそのたびに考え方が少し変わります。
最終的にはお客さんが評価する訳ですから、自分がお客さんになった時が、考えるのにはいい機会なのです。
たとえば演出家から見ると、言った通りの事が出来る役者は、いい役者だと思います。
では言った通りの事が出来る役者が2人いたら、その2人はお客さんからも同じ評価になるのでしょうか。
お客さんの評価は、「上手か下手か」ではなく、「良いか悪いか」です。
稽古を見ないで本番だけ観るのですから、上手にやっているかどうかは分かりません。
もちろん合わせる所を合わせられない役者は下手ですが、お客さんはそういう所に注目している訳ではありません。
では、「味がある」とか「笑いをとるのが上手」とかいう所に注目しているのでしょうか。
たしかにそういう事でもお客さんの評価は上がります。
しかしそれは役者としてではなく、キャラとしての評価だと思います。
役者はただ個性を発揮すればいいのではなく、演じなければいけません。
「良く演じる役者」が良い役者。
「良く演じる」とは、すなわち、「持っている」と言う事だと最近思うようになりました。
何を持っているかは、言葉で説明するのはとても難しいです。
つづく
Posted by 沙汰 青豆 | No Comments